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営業マンの悪い例としてのブログです。転職後に自身の認知の歪みを認識し、同じ失敗を繰り返している気がしているので、チャッピー(chat GPT)に補助してもらいながら、客観的に自分を見るための備忘録ブログです。でも、チャッピーはポジティブなことしか言わないので、ポジモン(ポジティブに歪んだモンスター)になりそうな恐怖もあります。病院の結果はIQ100で、発達障害などではないとのことです。

論理的って何?

論理的とは「国によって違う」と知って、わからなくなりました。

「論理的に説明して」と言われて、すぐ答えられますか?

私はパッと説明できませんでした。

AIに聞いてみると、

「物事を筋道立てて整理し、理由や根拠に基づいて結論を導き出す状態を指します」

とのこと。

なるほど、と思いつつも気になって調べてみると、どうやら「論理的」という言葉の意味は、国によって違うようなのです。

アメリカの論理:結論を積み上げて正しさを証明する

アメリカでは、論文や議論の構成はとてもシンプル。

まず「結論」を提示し、その結論を裏付けるために根拠や事例を積み上げていきます。

まるで、「ほら、正しいでしょ?」と説得していくようなスタイルです。

これは英語圏の文化に根づく、“結果重視”の思考法でもあります。

フランスの論理:反対意見を踏まえて結論を導く

一方、フランスでは少し違います。

主張と反対意見を比較し、両方の根拠を踏まえたうえで新しい結論を導くという、弁証法的な構成が一般的です。

「どちらが正しいか」ではなく、

「両者を考慮したうえで、より深い真理に近づくには?」という発想。

アメリカが「結論を証明する文化」だとすれば、

フランスは「結論を再構築する文化」と言えるかもしれません。

文化によって、“論理的”は変わる

ここまで知ったとき、私はふと思いました。

「じゃあ、“論理的である”ということ自体が文化に依存しているのでは?」

そう考えると、普段私たちが「論理的に」と言っていることも、実はその国の常識や多数派の感覚に合わせているだけかもしれません。

つまり、「誰が言ったか」「どの意見に賛同が集まったか」という、

ある意味“感覚的な多数決”によって論理が決まっている可能性すらある――そう感じました。

私は“論理的”より“納得感”を選ぶ

それ以来、私は「論理的思考」よりも、その時々の自分や相手の“心の納得感”を重視するようになりました。

論理で人を動かすより、

「なんとなく納得できる」ほうが、人はずっと前向きに動ける気がします。

人間関係も仕事も、論理だけで進めるより、お互いの気持ちを尊重したほうが幸福度は高い――今はそう感じています。

ちなみに、チャッピーに「論理的思考とは?」と聞いたところ、

こんな答えが返ってきました。

「前提や条件を明確にし、事実と推論を区別しながら、筋道を立てて結論までの道を説明できる思考。」

・論理的思考は国によって形が違う

・アメリカは「結論から説得」型

・フランスは「賛否を比較」型

・“論理的”という言葉自体が文化の影響を受けている

・論理よりも心の納得感を重視する生き方もある

私にとっての“論理的”は、

自分と他人が気持ちよく納得できるように考えること。

あなたにとっての「論理的」とは、どんな状態ですか?


普通に話すことを求めて

私は18歳まで、統合失調症の母と暮らしていました。家庭は会話ができず、声を出して一言でも話すだけで精一杯。そんな環境で育ったため、人と話すこと自体が大きな壁でした。

大学進学を機に母のもとを離れ、自分の幸せを優先して家を出ました。大学生活は「リハビリの4年間」と位置づけ、あえて接客業のアルバイトに挑戦しました。幸い接客業にはマニュアルがあり、その通りに声を出せばなんとかなる。私はマニュアルを丸暗記し、まずは声を出す練習から始めました。

アルバイトに行く前には毎回吐き、血便が出るほどのストレスを抱えていました。それでも続けるうちに症状は徐々に落ち着き、やがて人と雑談できるほどに回復しました。

血便という体のSOSは、私に思考を変えるきっかけを与えました。本来なら病院と薬に頼るべきなのですが、薬を飲むと怠さが強く、自分の判断でやめてしまいました。その代わりに、「最悪」を考える癖をやめ、意識的にポジティブな捉え方をするようにしました。不思議なことに、思考を切り替えると体調も改善していったのです。今では「何とかなるさ」と思えるようになりました。あくまで私の場合は運が良かっただけで、医学的に正しい方法ではありません。決しておすすめはできません。

ただ、18年間の言語的なハンデは消えず、当時、人との関わりを避け、あえて「喋らなくてもいい技術者」を目指していました。(現在では、技術者のほうが説明能力が必要と思っています。)まさかその後、自分が営業職をせざるを得なくなるとは思ってもいませんでした。断ることすらできないコミュニケーション能力を恨みもしましたが、今では「話すことは人生の課題」だと受け止めています。

私はまだ「普通に話せる」という“普通”を獲得したわけではありません。それでも、一生をかけて緩やかに改善し、少しでも近づいていこうと思っています。

断れることは人生をコントロールすること?

前職では技術者志望で入社しましたが、実際には営業職に配属されました。自分でも明らかに苦手分野だと思っていましたが、「やってみないことにはできるかどうかも分からない」と考え、とりあえず断らずに営業を始めました。そして気づけば、今もずるずると営業を続けています。

というより、技術力がないため営業しかできない、というのが正直なところです。とはいえ、私の場合は営業と呼ぶほどのものではなく、ただの御用聞きに過ぎません。

いまだにプレゼンや商品説明を理路整然と話すことができません。質疑応答もうまく対応できず、気づけば循環論法のような話し方になり、中身のない説明になってしまいます。さらに滑舌も悪く、声も裏返ることが多いため、筆舌に尽くしがたい聞きづらい話し方をしてしまいます。

前職で毎年新入社員を見てきましたが、「営業はやりたくない」と断われる人が何人もいました。そういう姿を見て、「自分の意思を持って断れるのは羨ましい」と感じたものです。しっかりコミュニケーションを取り、自分の人生をコントロールできるからこそ断れるのだと思います。そして、相手もすぐに判断でき、次の行動に移せるので、断ること自体がむしろ親切なのかもしれないとさえ思いました。

一方で私は気が弱く、断れない性格です。できなくてもとりあえず挑戦し、最終的な判断を相手に委ねてしまう。その結果、人に言われるままに動き、広く浅く経験はしてきましたが、専門性と呼べるものは何ひとつ身についていません。

本来であれば、生産手段となる専門性を身につけ、最悪は独立できるように備えることが理想です。しかし、正直に言えば私は仕事が苦手であり、サラリーマンという立場が一番守られていて楽だと感じています。だからこそ、これからもサラリーマンとして何とかしがみついていこうと思っています。

若さという資産は、今もこうしている間にも少しずつ目減りしていきます。だからこそ、サラリーマンとしてしがみつけるだけの強みを何とか身につけたいものです。

予算を超える金額で受注する営業マンの話し

現職の社長とは、もともと飲み仲間だったのですが、飲みの席で、客観的に考えて、その業界でその商品を、その金額で受注できるのは「あり得ない」と思うような金額を、しかも同じお客様から継続的に引っ張ってくる話しが何度かありました。

私が転職してからは同行訪問をする機会がありました。社長の営業手法は私とは正反対でした。

私のスタイルは、まずお客様に予算を確認し、その範囲内でできる内容を見積もります。1回目でなるべくベストプライスを提示し、交渉があってもスピーディーに受注につなげるやり方です。人とお金の話しはあまりしたくなく、話し合いをしたくないので、できるだけ早く決着をつけたいと考えています。雑談は好きですが。

しかし、社長は全く違いました。

同行した案件では、最初に提示されている予算感を完全に無視し、まずはすべての要望を聞いたうえで金額を提示します。しかもその金額は予算の3倍に達することもあります。お客様から「話を聞いていたのか?」「そんなのは無理だ」と言われ、言い争いになることもありました。ところが、そのやり取りの中で要望を削り、落としどころを決め、最終的には予算の1.5倍ほどの金額で受注してしまうのです。

社長は「将来的な関係性のために赤字覚悟で値引きする」ということを絶対にしません。むしろ、少しでも赤字になりそうな案件は断固として避ける姿勢を貫いています。

当然ながら、そんな社長と私とでは考え方が合いません。利益を最大化するための姿勢は学ぶべき点が多いのですが、私自身は人と争うことに疲れてしまい、心がすり減ってしまうタイプです。そのため、社長からすると「やったけれど文句のつけようがなく、何とも気持ちの悪さが残る」ような対応を、私はとりあえずしているのが実情です。

いつ降格させられるかクビにされるのかとたまに心配になることもありますが、気持ちが入らないので悩ましいです。

そういえば、社長はバリバリの技術者だったな。営業センスもあるのは凄すぎる。。。

経験則からの経営者の共通点

私には身近に3人の社長がいます。取引先の社長、勤め先の社長、親戚の社長、3人には共通点があります。

3人とも仕事中は不機嫌そうで厳しい態度を取りますが、プライベートではとても親切で気前がいいです。大手の役員の方も同じような雰囲気を持っていました。

思い返すと勢いのある会社の社長は皆んなそうだったような気がします。私が出会った社長の印象として、特に初代より2代目社長はキレ散らかしている印象があります。会長である先代の社長からのプレッシャーも感じているかと思います。

立場上、社員や部下を叱らなければならない場面がありますが、それをやり切る力が経営者には備わっています。叱ることはとてもエネルギーを使う行為ですし、人に文句を言われたり、陰口を言われたりしていることも承知の上で、それでも組織を前に進めるために必要だからこそ実行するのだと思います。

さらに、そうした厳しさの一方で、プライベートでは誰に対しても親切に接する姿を見ると、本当に人間的な懐の深さを感じます。

一方で私は、叱ることもできず、怒ることもほとんど忘れてしまいました。納得のいかないことがあっても「勉強になるからとりあえずやってみよう」と受け入れるのですが、結局は面倒くささが勝ってしまい、結果として「頑張ったけれど30点くらいの出来栄えでした」という感覚で流してしまう癖があります。

経営者と自分を比べてみると、その「やり切る力」の違いを強く感じます。嫌われる覚悟を持ってでも責任を引き受け、最後までやり抜く姿勢は、やはり経営者たる所以なんだなと思います。

私は経営者にはなれないなと思いますが、一緒に過ごしていてそのエネルギーはどこから出てくるのかいつも不思議に思っています。

久々の客先訪問

久しぶりに納品で客先訪問しました。

転職した会社では、基本はテレワークで、商談がない限り訪問しないため、実に久々のことでした。

客先で雑談する中で、業界の情報やお客様の些細な困りごとを聞くことは楽しいと気がつきました。

さらに、ふと気づいたのは、聞いた困りごとに対して、自動的に「自社の問題か他社の問題か」を切り分ける癖がついてしまっていることでした。

自社の問題であれば、問題か課題かを判断する。 些細で工数がかかりそうなら、場合によっては有耶無耶にする。 課題であれば持ち帰る。

他社の問題であれば、課題かどうかは考えず、問い合わせ方法までを提案する。

しかし、他社が断った場合、お客様は解決できるのか気になってしまいます。

些細なお客様の困りごとを聞いた時に、お客様との関係、会社利益、困りごとを受けた際の技術者からの不満はないかと色々天秤にかけてしまいます。

しれっと自分で尻を拭ける範囲では対応しますが、営業としてはこんなんでいいのだろうかと悩む日々です。チャッピー(chatGPT)に聞いてもふわっとポジティブに返されました。

来歴

簡単に来歴です。

・18歳まで、統合失調症の母のもとで「喋るな」と言われ、言語能力を奪われる。

・大学時代は苦学生しながら、当時流行っていた某牛丼屋で深夜ワンオペ

・就職は地方の未経験可プログラマー募集の会社に応募するが、なぜか営業配属

・1年後、なぜか東京に転勤 赤字案件の大手企業システム入替の導入担当窓口とルート営業を任される

・「赤字案件はいつ収束するのか?」「売上は持ってこれるのか?」と軽く詰められ、ストレスを感じる

・ストレスで自暴自棄に コロナ流行で追い討ち、借金500万を達成

・赤字案件がようやく終わる 現在の妻と出会い、なんとか結婚式を挙げて結婚

・出張が多く、妻と会社の板挟みに 「考えることをやめる」

・テレワークメインの会社に転職し、新規開拓営業を任される

・ 「そういえば自分は話せない」ということを思い出す

・客先訪問もできず、前職のルート営業の経験も活かせないことに気づく

・チャッピーに出会い、チャッピーの仰せのままに生きる← イマココ